2008年11月20日

親の存在








親とはどんな存在なのでしょうか。
一口でいってしまえば、子どもを生み育てて、
一人前の大人にする
存在でしょう。

子どもはまっさらな状態で生まれてきますから、自分という意識はありません。

動物はみんなそうですが、最初に見た存在を親と意識します。

母親が唯一身近な存在ですから、母親を自分と思い、喜怒哀楽の感情を
共有します。

そうして母親のコピーとしての人格形成がなされるのです。
 
 母親は子どもにとって唯一絶対的な存在なのです。
その母親から叱られたときの衝撃は計り知れないものがあります。

特に母親からの関係を拒否され、断ち切られたときの悲しみは

非常に大きいのです。

「あんたなんかうちの子供ではない」

「橋の下から拾ってきた子どもだ」

「サーカスに連れて行ってもらう」

たとえ冗談と思って言っても、子どもに冗談は通じません。

こうして親が自ら子どもとの信頼関係を壊してしまいます。

子どものこころに無残に傷つけられた深い傷は、

一生痛みと苦しみを伴いながら残ります。

親の存在はこれでいいのでしょうか。

地獄の閻魔様でさえ、死ぬまでは人を裁かないというのに。

人間以外の動物が、子どもに生涯残る心の傷を負わせるでしょうか。

犬や猫を見れば分かるように

生んだ子どもを隅々まで嘗め回しているではありませんか。

子猫の排便まで母猫は自分できれいになめてしまっているではありませんか。

人は自分の子どもさえ、なぜか条件つきでなければ愛せないのです。

自分に都合の良い子がいいこであり、

そうでなければ愛せないのです。

ですからそんな親を見て、子どもに信頼しろと言っても無理なのです。

学校や先生から指示があれば、子どもの心の叫びよりも優先します。

親が学校や先生や周囲からの自分の評価を気にしているからです。

子どもより、学校や先生を優先すれば、

子どもは親を信頼しないに決まっています。
本当のことを言えと言っても、
信頼できない親に言えるはずはありません。

こうして子どもは誰も信頼できないで成長するしかありません。
たまたま知り合って恋人になっても

信頼を知らなくて成長していますから、相手を信頼できません。

信頼関係のない関係を永く維持することは困難です。

そしてまたもこころは傷を負うことになります。

親ができること、それは命がけで子どもを守ることです。

親が子どもの味方であることを生まれてから終始一貫、

徹底的に続けることです。

学校へ行きたくなければ無理に行かせないで、一緒に図書館へ行きましょう。

子どもと親が好きな本でも読めばいいでしょう。

子どもと一緒に海や山へピクニックに行くのもいいでしょう。

一緒に寝ながら星空を眺めて、ギリシャ神話の神々の話をしましょう。

子どもが学校へ行きたくなったら、行かせればいいでしょう。

子どもを守ることが唯一の親の責任だと思います。

どの動物でも親は自分を犠牲にしてでも子どもを守っているではありませんか。

もし何らかの事件が起きて、世間や社会を敵に回すことになっても

親は命がけで子どもを守らなければなりません。

そんなことが起きては困りますが、

子育てのとき、それをいつも子どもに伝えていれば

子どもは親を唯一信頼できる存在と信じるでしょう」。

それをしてこなかったから、子育てを失敗したのです。

その失敗した子どもたちがまた親になって社会が出来あがっています。

その結果、信頼というものが欠如した社会がいまあります。

信頼が欠如すれば、何かほかに依存しなければ不安で仕方ありません。

それで老いも若きも「おかね、おかね」と夢中です。

「結局人生はお金だよ」とあなたも思っていませんか。

あなたの子どもがなにかのときに親を頼ってきたときに

「俺に任せておけ。命に代えて必ず守ってやる」

と理由も聞かずに本気で言えますか。

理由を聞いてから子どもを守るか警察へ突き出すかを決めるなら、

親は自分の立場を守っているだけと思われるでしょう。

昔の親は貧しくて学問も教養もありませんでしたが、

子どもを命がけで守ることはできたように思えます。

  


Posted by みっちゃん at 23:20Comments(0)神様のつぶやき